| Original Full Text | 73Ⅰ はじめに1 . 1 .本稿の目的 現代ロシアにおいて,「テロとの戦い」や「過激主義との戦い」を大義名分とする人権侵害が散見される。ソ連崩壊後の「近代化」が人権保障の領域に浸透するのは容易でなく,特にチェチェン紛争を経て成立した第一次プーチン政権以降は,ロシアの「古き良き伝統」を脅かす者を敵視し,排除しようとする傾向が目立つ。ロシアの伝統を支える要素の一つは,正教文化である1 )。宗教の領域に目を向けると,今日では,「過激主義の排除」と「宗教の自由」の間で苦闘するエホバの証人の姿が浮かび上がる。ロシア国内のエホバの証人は幾度となく国家権力機関により解散の危機に晒され,ある地方法人は実際に解散を命じられた。2017年 4 月,遂に連邦最高裁判所によりロシア全土のエホバの証人が解散および活動禁止を命じられた。2022年 6 月には,欧州人権裁判所により,これまでの多くの申立てを統合する形で,国内裁判所の判断を全面的に覆す判決が下された。ここでは,エホバの証人を過激主義団体として認定することの是非が主たる争点となっている。雲を掴むような概念である「過激主義」概念について検討する上で,エホバの証人の事例は格好の素材である。 本稿は,いわゆるエホバの証人解散事件に関する2017年 4 月のロシア連邦最高裁判所判決および2022年 6 月の欧州人権裁判所判決を素材として,ロシア法において「過激主義」概念を用いることの意味について検討する。「過激主義」の取締りは,概念の曖昧さゆえ格別の慎重さを要する。一方で,近年では多様性保護の観点から国家による社会の管理・監督の必要性が各所で謳われており,その意味で,信教の自由であっても無制限の人権とはいえない2 )。こうした状況において,国家による結社規制と直結する「過激主義」について議論を喚起する必要がある。 以下では,導入としてロシアにおける宗教法制の概要および先行研究の議論状況を確認したうえで(Ⅰ章),ロシアにおけるエホバの証人が直面している問題(Ⅱ章),最高裁判所判決(Ⅲ章)および欧州人権裁判所判決(Ⅳ章)の内容について論じ,若干の検討を行う(Ⅴ章)。1 . 2 .ロシアにおける宗教法制の概要ソ連時代における宗教政策は,1929年 4 月 8 日制定の「宗教団体に関する」全ロシア中央執行委員会・人民会議決定(以下,「29年法」とする。)を軸とし3 ),国内の宗教団体にとっては熾烈を極めた。政教分離は,国家と宗教の相互不干渉を意味する以上に,宗教を「敵対的」に分離し公の領域から排除するための政策を支えるものとして機能した4 )。憲法および29年法により保障された良心の自由は,あくまで「個人的な礼拝」であり共同での礼拝や公の場での布教活動は認められなかった。ただし,森下が指摘するように,29年法の下であっても国家と宗教が接近したり離反したりと,ソ連当局の宗教政策は一様ではない5 )。柴 田 正 義現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」〔論 文〕現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:1 74阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 2 ソ連末期になると,ゴルバチョフがロシア正教会に対して過去の弾圧・迫害について謝罪を表明し,29年法レジームからの脱却を目指す新たな宗教法が策定された。まずソ連において1990年 8 月に「良心の自由法」が制定され,その 2 ヶ月後にロシア共和国において「信教の自由法」(以下,「90年法」とする。)が制定された6 )。90年法は,あらゆる宗教団体が宗教法人として合法的に存在し,公に活動するための門戸を開いた7 )。90年法の下で勢力を伸ばしたのは,資金潤沢な海外由来の新興宗教であった。エホバの証人も,90年法の下で信者を急増させた宗教団体の 1 つであるが,それ以上に,オウム真理教や統一教会などの「全体主義的セクト」とされる宗教団体が勢力を拡大させ,こうしたセクト団体の取締りを求める機運が高まった。 90年法のリベラル色を固持しようとする改革派勢力と,セクトを排除し正教を筆頭とするロシアの伝統を重視しようとする保守派勢力の対立の中で,最終的には改革派勢力が折れる形で90年法は全面改正され,1997年 9 月に「良心の自由および宗教法人に関する」連邦法律(以下,「97年法」とする。)が制定された8 )。97年法は,前文においてロシア正教会を頂点とする宗教ヒエラルキーを謳い 9),宗教団体の国家登録要件を引き上げるなど10),90年法の自由主義的な側面を削ごうとした。97年法はすでに,社会的・人種的・民族的・宗教的不和の禁止や宗教法人の解散について規定していたが,解散規定が宗教団体にとって脅威となったのは,2002年 7 月に「過激主義活動対策に関する」連邦法律(以下,「過激主義活動対策法」とする。)が成立した後である11)。過激主義活動対策法制定と同時に97年法が改正され,解散事由を詳細に規定していた14条 2 項は,一括りに「過激主義活動の実行」とされ,同 6 項には「過激主義活動対策法の規定に基づき,宗教法人は解散され宗教集団は活動が禁止される。」との文言が追加された。現在,ロシアにおける宗教団体は,団体の活動が「過激主義」に該当しないよう細心の注意を払わなければならない。1 . 3 .先行研究の状況 わが国において,ロシアにおけるエホバの証人が抱える法的問題について言及したものは僅かである。宮川は,97年法制定当初に耳目を集めた宗教団体の国家登録取消問題について,エホバの証人を例として紹介している12)。彼は,1998年のモスクワ市におけるエホバの証人登録取消訴訟について扱い,同裁判は2001年に結審しエホバの証人側の全面勝訴となったと指摘している。国家登録問題については拙稿でも触れているが13),要件の引き上げが信教の自由を不当に制限するとロシア連邦憲法裁判所により指摘されており,実際にはエホバの証人の事例を最後に国内では争われていない。宗教法上の争点は,2000年代以降,過激主義活動対策法の制定を経て宗教法人の強制解散の問題へとシフトチェンジしていくが,この問題についてエホバの証人を素材として扱ったものは皆無である。 ロシアにおける先行研究には一定の蓄積が見られるが,その多くはエホバの証人をセクトや過激主義団体として捉え,取締りを容認している。アントノフは,結社の自由が制限される根拠として団体内における心理的抑圧を挙げ,その例として,エホバの証人において「認知の支配および全体主義的な権力に従うための訓練」が行われていると述べる14)。シシーナは,エホバの証人の過激主義的特徴を,信徒から自由意思と批判的思考を奪い,それらを「牧師」の指示と代替させるという,「有害な働きかけを行う信徒団体の創設」に見出す15)。一方,イサーエヴァのように,エホバの証人を過激主義団体とすることに慎重な立場も見られる。彼女は,ロシアの世俗国家原則を政治的領域と宗教的領域の相互不干渉として理解し,国家による宗教団体に対する干渉は,恣意的で過度なものであってはならず,法律により規定され,社会的に必要であり,合法な目的を持つ場合にのみ許されると述べる16)。この立場は欧州人権裁判所の立場と親和性が高い。 過激主義活動対策法については,過激主義概念の曖昧さを問題視し,恣意的な運用の可能性を理由に現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:2 75現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 2024否定的な評価を下すものが見られるが,具体的な解決策を講じるには至っていない17)。 このように,当国においても,本稿が掲げるテーマについて十分に研究されているとはいえない。しかし,正教を軸とした「近代化」以前のレジームに回帰するか,あるいは宗教法制の一部に見られる「近代化」の微香に固執するかの岐路に立つロシアの宗教事情を分析する上で18),信教の自由と過激主義に関する議論を深めておくことは,喫緊の課題であり,その点が本稿の目指すところである。 なお,ロシアは2022年 3 月15日に欧州評議会より離脱する意思を表明し,欧州評議会は翌16日にロシアを除名した。同 6 月11日には,プーチン大統領が欧州人権裁判所の管轄から離脱する法案に署名した。これによると,2022年 3 月15日以降の欧州人権裁判所の判決はロシアにおいて法的効力を持たないが,欧州評議会からは,除名から 6 ヶ月間は欧州人権裁判所の管轄に留まる旨が通知されている19)。Ⅱ ロシアにおけるエホバの証人と訴訟の状況2 . 1 .エホバの証人と社会問題 エホバの証人は,正式名称を「ものみの塔聖書冊子協会」といい,1870年代にアメリカ合衆国でチャールズ・ラッセルを中心に発足したキリスト教系宗教団体である。ラッセルは,聖書研究の成果を発信するための媒体である雑誌「ものみの塔」の初代編集者であり,宗教団体の創始者として位置付けられているわけではない。エホバの証人の公式ホームページによれば,2023年11月 6 日現在,わが国における「奉仕者」の人数は,21万4359名である20)。なお,「奉仕者」とは,洗礼を受け「エホバの証人」として認められた「公式の信徒」のことを指す。エホバの証人は,アメリカのニューヨークに世界本部を置き,世界中に支部・会衆をもつ。山口の時期区分によれば,1970年代半ばから1990年代半ばまでの間にわが国においても信徒数が急増し,支部の運営も世界本部から派遣された外国人宣教者から日本人信者に任されるようになった21)。 エホバの証人は,後述するように,欧州人権裁判所においては「平和的宗教」と認識されているが,信仰と社会生活の矛盾を理由に世界各地で社会問題を引き起こしている。わが国においては,例えば輸血拒否問題や授業での格技拒否の問題などがある。これを信教の自由の側面から見るのであれば,成人患者の信仰に基づく自己決定権や生徒の宗教的良心に基づく格技拒否権が重視される。一方,教団内部の問題に光を当てると,前者については世界本部の教訓者が「医師たちの教育」を強調していた点,後者については世界本部が信仰を広めるための機会として訴訟提起のストーリを描いていた点が浮上する22)。その他,いわゆる鞭打ち教育や友人への伝道の強要など,2 世信者らの苦悩の声を拾えば枚挙に暇がない。中国,北朝鮮,ウズベキスタン,トルクメニスタン,タジキスタン,サウジアラビア,イラン,イラクなど特定の国では,上記の「有害性」部分を重く見て,エホバの証人の活動は禁止されている。2 . 2 .ロシアにおけるエホバの証人 ロシアにおいてエホバの証人が最初に活動したのは,1887年であると推定される。同年,雑誌「ものみの塔」に,「私は,『ものみの塔(Сторожеваябашня)』の一部を,ロシアの多くの地に送付する。」と記した信徒の手紙が掲載された23)。1891年には,ラッセルが伝道活動のためにロシアを訪れた。1911年には,小冊子「死者はどこにいるのか(Гденаходятсяумершие?)」がロシア語に翻訳された。1913年,ロシア帝国はエホバの証人を国家登録し,エホバの証人はロシア帝国内における合法的な地位と公に伝道活動を行う権利を獲得した24)。ロシア帝国支部はフィンランドに設置され,ロシア帝国全土における伝道活動が開始された25)。1928年,宣教師ジョージ・ヤングがロシアを訪れ,世界本部代表を務めていたジャッジ・ルーテルフォールドに,「ハリコフから80キロメートルほど離れたクールスクという町で,現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:3 76阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 2小冊子「自由(свобода)」および「死者はどこにいるのか」を 1 万 5 千部印刷する許可を得た。」と報告した26)。その後,29年法に基づきエホバの証人は法人格を剥奪され,活動は著しく制限されたが,第二次世界大戦まで,ロシアには一定数の信徒が存在していた27)。1939年から1941年の間に,エストニア,ラトビア,リトアニア,モルドヴァがソ連に編入され,ロシア以西の信者が急増したためである。 第二次世界大戦以降,エホバの証人は違法団体とされ,逮捕と反対運動が繰り返された。1951年,信徒およびその家族を対象とする「北方作戦(Операция«Север»)」が実施され,8000名以上がシベリアに強制移住させられた。1965年 9 月の最高ソビエト幹部会令により全信徒の解放が宣言されるも,大多数はなお帰還を許されず,シベリアに残りたくない者は,伝道者(возвещатель)を必要とする地への移住を決断した。第二次世界大戦後のソ連における信徒数は目立つものではなかったが,移住を契機に1970年代後半より急増した。サドチェンコフによれば,1974年に18700人であった信徒数は,1979年には25600人に増加した28)。 1991年 3 月,エホバの証人はロシア共和国において国家登録され法人格を取得した。1992年にはサンクトペテルブルクにおいて,1993年にはモスクワにおいてエホバの証人の国際会議が開催された。ロシア正教会は,1994年の最高司教評議会において,エホバの証人を,教会,社会および国家にとって危険な宗教団体であると非難した29)。1996年の大統領令により,シベリアに強制移住させられていたエホバの証人の信徒らの名誉,財産が回復された。 90年法レジームの下で,エホバの証人は多くの信徒を獲得し信教の自由を謳歌したが,97年法制定以降は再び国家登録取消の危機に陥る。1998年,モスクワ市内の裁判所において,宗教的不和の煽動,家庭崩壊の強制,自殺・医療行為の拒否の勧誘,市民の身体的権利および自由の侵害,宗教活動への未成年者の誘引を理由に,国家登録取消および団体の活動停止の申立てがなされた30)。2 . 3 .ロシアにおける主な訴訟事例 上述の国家登録取消訴訟以降は,過激主義活動対策法に基づき,エホバの証人の出版物を「過激主義資料」に認定し,これらの資料を用いた伝道活動を「過激主義活動」とすることで,いくつかの地方法人は取締りの対象となり強制的に解散させられた。以下では,後述する欧州人権裁判所判決に関連する個別の事案の概要について述べる。 なお,97年法上,ロシアにおけるエホバの証人はそれぞれ個別に法人格を有しているが,全体の組織体としては,モスクワのエホバの証人管理センターを包括宗教法人,地方にある個別の会衆を被包括宗教法人としている。被包括宗教法人については,以下では単に「地方法人」と記載することがある。2 . 3 . 1 .タガンログ・エホバの証人地方法人の強制解散および宗教的資料の禁止に関する事例 31) ロストフ州タガンログ市にあるエホバの証人地方法人(以下,「TJW」(=TaganrogJehovah’sWitness)とする。)は,1992年に宗教法人として国家登録され,1998年に包括宗教法人であるエホバの証人管理センター(以下,「ACJW」(=AdministrativeCenterofJehovah’sWitness)とする。)の傘下にある被包括宗教法人として再登録された。 2007年 9 月13日,連邦次長検事の要請に基づき,ロストフ州検事長は,全市および地区の検事に対して,管轄区域内に登録されているエホバの証人を対象に,市民的義務の不履行を勧める説教の実態,輸血拒否の強制,他の宗教を悪魔的宗教とみなす教義の内容などを調査するよう命じた。エホバの証人の出版物数点が調査対象となった。ロストフ・法科学センターの専門家により,上記資料にはキリスト教圏における全ての宗教に対する憎悪表現が含まれているが,憎悪対象の破壊を煽動する表現はないと報告された。2007年10月31日,タガンログ市検事長は,TJWに対して過激主義活動を停止するよう警告現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:4 77現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 2024を通知した32)。 TJW創設メンバーのS氏の死についても調査された。S氏は,2004年 3 月17日に交通事故に遭い入院した後,担当医師に対して輸血拒否の意思を示し続け,同 4 月 8 日に死亡した。法医解剖の結果,彼女の死因は外傷,出血,多臓器不全であると報告された。 2008年 6 月 9 日,ロストフ州検察庁は,①過激主義の要素を含む資料の常習的配布,②S氏の死因が輸血拒否によること等を根拠として,ロストフ州裁判所にTJWの解散を申立てた。2009年 8 月11日,検察側は,エホバの証人が出版した68の資料を過激主義資料に認定するよう追加の申立てを行った。 2009年 9 月11日,ロストフ州裁判所は,①については34の資料において「宗教的憎悪を煽る表現」,すなわちエホバの証人以外のキリスト教宗派および宗教指導者に対する崇敬の念を毀損し改宗を迫る表現が,宣言,指示,嘆願,訴え,助言など様々な形態で記述されていること,②についてはS氏が宗教上の義務を理由に輸血を拒否し続けたことが「致命的な結果」を引き起こしたことを認定した。TJWは過激主義団体として,解散および財産の没収を命じられた。2 . 3 . 2 .宗教的資料の禁止および没収に関する事例 2008年12月22日,アルタイ地方ゴルノ・アルタイスク市の検察官が,エホバの証人の出版物を過激主義資料に認定するよう市裁判所に提訴した。2009年10月 1 日,市裁判所は,出版物における「エホバの証人の教義の優越性と他宗教の劣位性」の宣伝が憎悪表現に該当するとした専門家の評価に基づき,当該資料を過激主義資料に認定し禁止・没収を命じた33)。 その他,ロシア全土において,エホバの証人の出版物が,他宗教に対する教義・道徳上の優越性,他の宗教への憎悪の煽動,他者が信奉する宗教の否定および改宗の勧誘,市民的義務の拒否,聖職者に対する否定的評価などの内容を含むとして過激主義資料に認定され,禁止・没収を命じられた。2 . 3 . 3 .過激主義資料の頒布に関する事例 34) 2010年代以降,エホバの証人の信徒らが,過激主義資料に認定された出版物を伝道活動に用いたことにより,行政的違法行為法典20条の29に基づき行政罰を科せられた35)。罰金の額は,1000ルーブルから3000ルーブルと幅がある。使用実態については事案ごとに若干異なり,過激主義資料の所持を理由とする事案,頒布を理由とする事案,聖書学習の機会を設けるために特定の人物に手渡した事案がある。第三の事案については「頒布」には該当しないとして監督審にて下級審判決が取り消された。2 . 3 . 4 .サマラ・エホバの証人の強制解散に関する事例 36) 2013年 1 月29日,サマラ州のエホバの証人(以下,「SJW」(=SamaraJehovah‘sWitness)とする。)のノヴォクイビシェフスク支部の会衆施設を地元警察が捜査したところ,前述のロストフ判決において過激主義資料と認定された出版物が10部発見された。会衆の長老であったモスクヴィン氏は,過激主義資料を大量に頒布したとして起訴され,3000ルーブルの罰金を科せられた。地元の検察官は,SJWおよび会衆に対して警告を通知し,過激主義活動を行うことにより宗教法人が解散される可能性がある旨通知した。 2014年 1 月22日,地元警察がSJWの施設を再調査したところ,過激主義資料のコピーが 7 部見つかり,頒布の意図も明らかになった。2014年 3 月 7 日付の判決により,SJWは50000ルーブルの罰金を科せられた。 2014年 4 月22日,サマラ州検察官は,SJWを過激主義団体に認定し解散するようサマラ州裁判所に申立てた。裁判所は,SJWは,上記警告を受けた後12 ヶ月以内に行政処分を受けていることを根拠として現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:5 78阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 2過激主義団体であると認定し解散を命じた。2 . 3 . 5 .エホバの証人のウェブサイトへのアクセス制限に関する事例 37) 2013年 8 月 7 日,トヴェリ州中地区裁判所は,検察官の申立てに基づき,過激主義資料と認定された資料のコピーを掲載していたエホバの証人のウェブサイトを過激主義資料に認定しアクセスを禁止した。その後,メディア報道により裁判所決定について知った申立人らは,ウェブサイトへのアクセス制限は,他の過激主義資料でない文献にアクセスする権利を侵害し,当該措置は過度に広範であるとしてトヴェリ州裁判所に控訴した。 2014年 1 月22日,トヴェリ州裁判所は,過激主義資料を公開することは,当該ウェブサイト全体を過激主義資料とするための根拠にはならないとして第一審決定を取り消した。 2014年 7 月21日,ロシア連邦次長検事がロシア連邦最高裁判所に対して,前審の破毀申立てを行った。最高裁は第二審を取り消し,第一審決定を支持した。2015年 7 月21日,ロシア連邦司法省はエホバの証人公式ホームページ(JW.ORGⓇ.)を過激主義資料のリストに追加した。Ⅲ 2017年 4 月20日ロシア連邦最高裁判所判決 38) 検察機関により,過激主義活動対策法に基づく宗教団体および資料の「過激主義」認定および解散の申立てが相次いだのは先述の通りである。その最たるものとして,包括宗教法人であるACJWに対して,連邦次長検事により解散の申立てがなされた。以下では,事案の概要および判旨を示した上で,基本的な論点について検討する。3 . 1 .事案の概要 1991年 3 月27日,ロシア共和国司法省は,「ソ連・エホバの証人」の宗教法人規則を登録し,同団体は法人格を取得した。1999年 4 月29日,「ロシア・エホバの証人管理センター」(第Ⅱ章と同じく,以下では「ACJW」とする。)と名称を変更し,ロシア連邦司法省により国家登録された。 2017年 3 月15日,ロシア連邦司法省は,ACJWの活動が,法人規則の目的および任務,ならびに過激主義活動対策法に違反しているとして,ACJWの解散をロシア連邦最高裁判所に申立てた。 司法省の主張は以下の通りである。第一に,ACJWおよび地方法人がロシア連邦内で頒布している情報資料は,宗教的憎悪を助長し,各人の信仰に関する優越性や劣位性を宣伝する内容を含むことを理由に,地方裁判所により過激主義資料であると認定されている。過激主義資料の頒布は,過激主義活動に該当する。第二に,ACJWは地方法人を財政的に支援しているところ,支援を受けているいくつかの地方法人は,過激主義団体として認定され解散が命じられた団体である。過激主義団体に対する財政支援は,過激主義活動に該当する。なお,訴訟に先立ち,ロシア連邦検察庁は,ACJWに対して上記の過激主義活動を停止するよう警告を通知していた。第三に,ACJWに対する警告後も,地方法人により過激主義資料が頒布されており,これにより人権,社会秩序,社会の安全が侵害される可能性がある。ACJWは,地方法人の活動を調整・指導・支援し,ロシア連邦内に過激主義資料を輸入し地方法人に配布している。これまで,8 つの地方法人が過激主義団体に認定され解散を命じられたが,ACJWは過激主義活動を防ぐための具体的な対策を講じていない。よって,過激主義活動対策法 7 条 4 項,9 条,6 条 4 項,および97年法14条 7 項に基づき,ACJWは過激主義団体に認定され,全ての関連団体は解散または活動を停止しその資産は押収される。 ACJWの主張は下記の通りである。第一に,現在および過去において過激主義活動は存在せず,ACJW現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:6 79現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 2024は,過激主義活動対策法および97年法上の責任を負わない。司法省の主張は,憲法28条(良心の自由),29条(表現の自由),30条(結社の自由)およびロシア連邦が批准している国際条約に違反する。第二に,ACJWおよび地方法人の解散は,信徒の権利を侵害し,正当性・必要性ともに認められない。司法省による過激主義の評価は不当である。第三に,ACJWは情報資料の著者でも出版社でもない。第四に,過激主義活動に対する資金援助は行なっていない。第五に,地方法人は法的に独立した宗教法人であるため,ACJWに対する解散請求と地方法人の解散が関連づけられることには法律上の根拠がない。3 . 2 .最高裁判所の判断3 . 2 . 1 .一般原則 ロシア連邦憲法28条は良心の自由および信教の自由を,憲法29条は表現の自由を,憲法30条は結社の自由を保障するが,これらの自由は無制限ではなく55条 3 項に基づき公益保護を理由に制限されうる39)。また,目的および活動が憲法体制の諸原則を暴力的に変更し,ロシア連邦の統一性を破壊し,国家の安全を脅かし,軍隊を創設し,または社会的,人種的,民族的および宗教的憎悪を煽動する社会団体(13条 5 項),社会的,人種的,民族的,言語的または宗教的帰属を指標として市民の権利を制限する社会団体(19条 2 項),ならびに社会的,人種的,民族的もしくは宗教的憎悪または敵意を煽動するプロパガンダおよびこれらを指標とする優越性を宣伝する社会団体(29条 2 項)の活動は禁止される。人権の行使は,他者の人権侵害の理由とはならない(17条 3 項)。良心の自由および信教の自由の領域における法関係については,97年法が規定する。ロシア連邦市民および恒常的に合法的にロシア連邦内に居住する者は,自由意思に基づき宗教団体を結成し,当該団体の規則を国家登録することで,法人格を取得することができる(97年法 6 条 1 項)。包括宗教法人の下には,法人規則に基づき,3 以上の被包括宗教法人が地方法人として置かれる(同 6 条 2 項,8 条 1 項・4 項)。 ACJWは,法人規則に基づき,395の地方法人および2500以上の宗教集団を統括する包括宗教法人である。規則によれば,ACJWの活動内容は,各信徒にとって必要かつ可能な範囲での情報提供,法的支援,助言,その他の支援,地方法人の活動の調整,指導,代表および利益の保護,礼拝,宗教的文献および宗教用途の物品の提供,宗教施設の建設および設備の支援,宗教活動に必要な資金・調度品・技術・情報・法に関する支援,助言,指導,礼拝,物品の購入,翻訳,輸出,輸入,ならびに宗教的文献,印刷物,オーディオ資料,ビデオ資料その他の宗教用途の物品の配布,保管,輸送である。 宗教法人の解散根拠は,97年法14条に規定され,その一つが過激主義活動の実行である(同 2 項 3段)。過激主義活動対策法に基づき,宗教法人は解散され,宗教集団の活動は禁止される(同 7 項)。過激主義活動対策法は,人および市民の権利および自由,憲法体制の諸原則,ロシア連邦の統一と安全を保障するため,過激主義活動対策の法的および組織上の基本原則と,その実行に係る責任について規定している。本件で問題となる「過激主義活動」とは,以下のように定義される。過激主義活動対策法 1 条 1 号(判決時,2015年11月23日改正版)過激主義活動(過激主義)とは,以下の活動を指す。憲法体制の諸原則の変更およびロシア連邦の統一性の暴力的変更(1 段),テロリズムおよびその他のテロリズム活動の公の正当化(2 段),社会的,人種的,民族的または宗教的憎悪の煽動(3 段),社会的,人種的,民族的,宗教的もしくは言語的帰属,または宗教関係を指標とする人の排他性,優越性,劣位性の宣伝(4 段),社会的,人種的,民族的,宗教的もしくは言語的帰属,または宗教関係に基づく人および市民の権利,自由および法益の侵害(5 段),暴力または暴力実行の威嚇による市民の選挙権およびレフェレンダムに参加する権利の行使に対する妨害または投票の秘密に対する侵害(6 段),暴力または暴力実現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:7 80阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 2行の威嚇による国家機関,地方自治機関,選挙委員会,社会団体,宗教団体または他の団体の合法的活動に対する妨害(7 段),刑法63条 1 項 6 号(е号)の規定する理由に基づく犯罪の実行(8 段),ナチスの象徴もしくはシンボル,ナチスの象徴もしくはシンボルと混同する程度に類似する象徴またはシンボルの宣伝および掲示,または過激主義団体の象徴またはシンボルの掲示(9 段),上記活動の実行への公の呼びかけまたは明らかな過激主義資料の大量頒布および大量頒布を目的とする出版もしくは保管(10段),ロシア連邦国家公務員または連邦構成主体国家公務員が,公務に従事する際に,本条における犯罪行為に列挙される活動を実行したとして明らかな虚偽の告発を行うこと(11段),上記活動の組織,準備,およびその実行の教唆(12段),上記活動に対する財政支援または学術,印刷,物的技術的基礎,通話通信手段,情報サービスの提供を含む上記活動の組織(13段)。 目的および活動が過激主義活動の実行,ならびに過激主義資料の頒布および頒布目的の出版または保管に向けられた社会団体,宗教団体その他の団体の創設および活動は禁じられる(過激主義活動対策法9 条 1 項,13条 1 項)。社会団体,宗教団体その他の団体の活動に過激主義の兆候が見られる場合,ロシア連邦検事総長または従たる地位にある検察官は,書面にて当該活動をやめるよう警告を通知する(同7 条 1 項・2 項)。警告が通知された後,警告が裁判所により違法とされず,警告状が定める期間内に違反が除去されなかった場合,または警告が通知されてから12 ヶ月以内に新たな過激主義活動の兆候が発見された場合に,警告を受けた法人は解散され,法人格を持たない団体の活動は禁止される(同 7 条 4項)。3 . 2 . 2 .事実 2016年 3 月 2 日,ロシア連邦次長検事は,ACJWに対して過激主義活動の禁止に関する警告を通知した。警告状には,2016年 3 月 1 日時点において裁判所が過激主義資料として認定した88の情報資料が記載されていた。さらに,カルムイク共和国,カバルダ・バルカル共和国,カラチャイ・チェルケス共和国,クラスノダール地方,プリモルスキー地方,ベルゴロド州,ケメロヴォ州,クルガン州,ノヴォシビルスク州,ロストフ州,チュメニ州,ユダヤ人自治州,ハンティマンシ自治管区における地方法人に対しても,過激主義活動および過激主義資料の頒布禁止に関する警告が通知された。一連の予防措置にも関わらず,地方法人は過激主義活動を停止せず解散を命じられた。 ACJWに対する警告状については,2016年10月12日,モスクワ市テヴェルスキー地区裁判所決定により合法とされ,2017年 1 月16日,モスクワ市裁判所がこれを支持し確定した。同27日,ロシア連邦司法省は,ロシア連邦検事総長の要求に応じ,ACJWが法律を遵守しその活動が法人規則の目的に合致しているかを確認するための緊急監査を開始した。すでに法的効力を有する裁判所決定によれば,この時点でエホバの証人の公式ウェブサイトを含めた計95の出版物が過激主義資料に認定されていた。監査により,ACJWが過激主義資料を大量輸入していたこと,すでに解散が命じられていた地方法人に対して財政支援をしていたことが明らかになった。3 . 2 . 3 .判決 ロシア連邦憲法55条 3 項,国際人権B規約22条 2 項,欧州人権条約11条 2 項によれば,市民および団体の権利および自由の制約は,①連邦法律に基づくものであって,②目的が社会的に重要な目的,すなわち憲法体制の諸原則,道徳,健康,人および市民の権利および法益の保護,国防,国家および社会秩序の安全を追求するものであり,③民主社会において適切かつ必要な手段によるものでなければならない。宗教法人の解散は,「行政訴訟手続に基づき,権限を有する機関または公務員による申立てにより公現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:8 81現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 2024法的な責任を問う措置である。本請求が過激主義活動対策法に基づく正当なものであれば,当該措置は結社の自由および信教の自由に対する恣意的な介入かつ不当な制限とはみなされない。」 事件資料によれば,過去 7 年間において毎年,ACJWおよび地方法人による過激主義活動が確認された。再三の警告およびACJWに対する監査は意味をなさず,ACJWは自ら過激主義の兆候を有する活動を停止しなかった。そのため,「本件を解決する唯一の方法が,ACJWの解散に関する行政訴訟である。」ACJWに対する権利侵害は連邦法律に基づくものであり(①),過激主義活動に対抗することは人および市民の権利および法益を保護し国家および社会の安全を保障するという社会的に重要な目的を持ち(②),民主的法治国家において適切かつ必要なものである(③)。過激主義活動対策法が規定する予防的措置およびより軽い制裁措置はすでに尽くされており,個別の地方法人を解散することによっては,ACJWまたは他の地方法人による過激主義活動の停止を望むことはできない。むしろ,後述する反論文書が示すように,ACJWは自身の行為が過激主義活動に該当することを否定している。 国家は,「過激主義の特徴を有する違法行為がそれとは異なる性質(=宗教的性質:筆者)を帯びるものであり,結果として何らかの権利侵害や害悪の原因には結びつかないとしても,それ自体が個人,市民の健康,環境,社会秩序,社会の安全,財産,自然人および(または)法人の法的経済的利益,社会,国家に対する直接の害悪となるのであれば,過激主義と認識される活動の事実を発見しながら,それを放置して負の影響が蓄積するのを待つべきでない。」それ以外の立場は,「過激主義活動対策法の趣旨に適合しないだけでなく,実際の害悪およびより深刻な結果を予防するための過激主義対策という社会的に重要な目的にも合致しない。」このため,連邦法律に基づき包括宗教法人の解散を命じる場合,その傘下にある地方法人および地方集団も解散または活動停止の対象となる。 ACJWの法人規則によれば,「ACJWの統括下にある団体は,全ロシア地域においてACJWの保護の下,宗教活動および信仰の普及活動を実施する」(規則 3 項の 4)。また,「被包括宗教法人は,当然に包括宗教法人の存在を前提としており,包括宗教法人が存在しなければ,民法上の地位を保持し活動することはできない。」 過激主義活動対策法は,団体の解散に関する法的根拠を具体化し,解散の対象を明確に規定した。本件で解散の対象となるのは,包括宗教法人のみではなく,「包括・被包括宗教法人の全組織体」である。「包括宗教法人の解散は,実質的に,地方法人が現在の地位を維持する可能性を否定する。」97年法によれば,宗教法人は法人規則に基づき活動し,規則は法人の設立者または包括宗教法人により承認される。規則には,信仰の形態が記載され,包括宗教法人に帰属する場合にはその名称が記される(10条 1 号,2 号)。地方法人を国家登録する際には,包括宗教法人の指導機関が発行した,包括宗教法人の統括下に地方法人として参入することを認める書類が必要である(11条 5 号 6 段)。 ACJWの規則によれば,「ACJWの統括下に参入する宗教法人の規則は,ACJW指導委員会の定める手続に基づきACJWにより承認を受ける。ACJWへの参入は,ACJWが発行する書類により認められる」(規則 3 項の 3)。さらに,ACJW指導委員会の職務には,「ACJWの統括下への宗教団体の参入を認める書類の発行手続,ACJW傘下の宗教法人規則の策定,変更,補足の承認,ACJWの統括下に参入した宗教団体との協働」が含まれる(規則 3 項の 8)。「地方および傘下の団体」という概念を法人規則において用いることで,法人,団体を問わず,解散される社会団体,宗教団体その他の団体を含むあらゆる機関をカバーしている。それゆえ,「包括宗教法人の解散請求には,公法的関係におけるすべての傘下にある団体が含まれ,それぞれが過激主義活動対策法の規定に基づき責任を負う。」本件における地方法人の解散は,包括宗教法人が負う責任の法的結果である。 解散請求が結社の自由に対する侵害だとするACJWの主張は認められない。「過激主義活動を実行したことの責任を宗教法人に負わせることは,結社の自由に対する侵害とみなすべきではない。」「法の下現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:9 82阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 2平等の原則(憲法19条)は,過激主義活動の実行に係る責任を,団体の形態に応じて変化させる可能性を否定している。」 過激主義活動を実行した事実が立証されていないとするACJWの主張は認められない。過激主義活動対策法 7 条 4 項および 9 条 1 項乃至 4 項によれば,「ACJWによる過激主義活動の事実だけでなく,地方法人または地方集団のたった 1 つの違法行為の事実でも,解散事由となりうる。」それらの事実は法的効力を有する裁判所判決により確定しており,その内容は過激主義活動の実行に係る証拠として受理することができる。 ACJWは,本件における過激主義資料の著者,発行者,または何らかの権利を有する者に該当しないとの主張は,免責の根拠とはならない。過激主義資料に認定されている資料は,ACJWにより,大量頒布および保管のためロシアに輸入された。過激主義資料の一部は,エホバの証人のホームページにおいて公開されている。過激主義活動対策法によれば,過激主義活動の実行のためにインターネットを使用することは禁じられる(12条 1 項)。「特定の情報資料が過激主義資料に該当するか否かについて専門家の意見が分かれているとの主張も,裁判所において確定した事実を覆すものではない。」 過激主義活動に関する特別委員会の設置,過激主義活動の存在を否定する2017年 2 月24日の公式声明などのACJWによる措置は,行政訴訟を却下するための法的根拠とはならない。 以上より,過激主義活動対策法に基づき,ACJWおよび全ての地方法人を過激主義団体と認定し,ACJWおよび地方法人には解散を命じ,法人格を有さない傘下の団体は,ロシア連邦内における活動を禁止する。解散した法人の財産は,国庫に帰属する(9 条 5 項)。3 . 3 .論点および評価 最高裁判所の判断枠組は,ACJWおよび地方法人の解散,地方集団の活動禁止措置が,法律上の根拠を持つか(①),目的が正当か(②),民主社会にとって必要か(③)を審査するという,標準的なものであった。申立人の主張に基づき,エホバの証人が使用していた宗教的資料が過激主義活動対策法上の「過激主義資料」に該当するか,ACJWが地方法人を財政的に支援していたことが同法上の「過激主義活動」に該当するか,ACJWの解散が民主社会にとって必要不可欠な措置であったか,という 3 点が主たる検討事項となった。 第一・第二の点については,97年法および過激主義法上の規定を根拠としており,法律上の根拠に基づくと判断された(①)。なお,「過激主義」の定義および射程については一切検討されていない。宗教的資料が過激主義資料に該当するかという点についても,個々のケースにおける国内裁判所の判断に依拠し,改めて検討されているわけではない。ACJWによる地方法人の支援は,地方法人による「過激主義活動」が「過激主義資料を用いた宗教活動」(過激主義活動対策法 1 条 1 号10段)に該当し,それを「財政的に支援する」(同13段)点で過激主義活動と判断された。ここでも,10段および13段の合法性については審査されていない。このように,上記①の点については形式的判断に終始しており,実質的な審査には踏み込んでいない。 判断の大半を占めたのは,第三の点についてである。個々の地方法人は独立した宗教法人であるとのACJWの主張に対しては,97年法上の包括宗教法人および被包括宗教法人に関する規定,ならびにACJWの法人規則に基づき,組織の一体性を重視した。さらに,予防的措置としての警告の存在も指摘した上で,解散に代わる措置は存在しないと結論づけた。解散措置の目的の正当性および社会的必要性については,一貫して憲法55条 3 項における公益保護の要求により正当化している(②,③)。目的と手段の比例性については,解散以外の手段は存在しないと述べるのみであり,厳密に審査されているわけではない。現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:10 83現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 2024 このように,最高裁判所の判断は,法的な根拠を示しただけの形式的なものに過ぎず,「過激主義」の定義および解散措置の必要性については検討不足であると言わざるをえない。Ⅳ 2022年 6 月 7 日欧州人権裁判所判決 40) Ⅱ章およびⅢ章で論じたように,エホバの証人の信徒および法人はロシア国内の各地で訴訟を起こしてきた。そのうち一部は,判決が確定した後,欧州人権裁判所においてその妥当性が争われた。2022年 6月 7 日の欧州人権裁判所判決では,これらの事案が併合審理され,ロシア国内における措置が全面的に欧州人権条約 9 条(信教の自由),10条(表現の自由),11条(結社の自由)に違反すると判断された。以下では,Ⅱ章およびⅢ章で扱った事案に関する欧州人権裁判所の判断を概観した上で,基本的な論点について検討する。4 . 1 .TJWに対する解散命令について 41) 申立人は,過激主義活動対策法上の「過激主義」の定義が曖昧なため予測可能性に欠け,国家権力機関による一連の措置は「法律に基づく」ものとはいえず,「エホバの証人の活動は国家の安全に対する脅威であり,解散は混乱を防ぐための必要な措置」とするロシア政府の主張は不合理であり「民主社会において必要」とはいえないと主張した42)。 一方,ロシア側は,TJWが自身の宗教の優越性について記述した印刷物を頒布し,正教徒に自己の信仰を押し付け,信徒に医療行為を拒否させ,親権者の同意を得ず未成年者を巻き込み戸別訪問に従事させるなどの違法行為を行なっていた点を指摘した43)。 解散命令により,TJWは法人格を剥奪され,礼拝堂の設立や公の場で宗教行事を行う権利を失った。信徒らは,他の者と共同して宗教活動を行う自由を失った44)。エホバの証人の出版物を過激主義資料に認定し,国内における頒布と使用を禁止したことにより,TJWおよび信徒の宗教の自由および表現の自由は制約された45)。 上記の権利侵害は,「法律により規定されたものであり」,かつ「民主社会において必要なもの」であることが示されない限り,欧州人権条約 9 条,10条,11条に違反する46)。4 . 1 . 1 .法律に規定されているか TJWに対する権利侵害については,確かに,過激主義活動対策法および97年法の規定に基づくものである。しかし,権利侵害の法的根拠が形式的に存在することの確認では足らず,その法的根拠は,行為の法的結果を予測するために十分に明確でなければならない47)。 TJWは他宗教に対する優越性を宣言し,「伝統的な」キリスト教宗派を否定的に扱い,その信徒らに対して当該宗派から離脱するよう勧めていたところ,これが「過激主義」であると認定された。しかし,「自身が信奉する宗教が唯一の真理であるとし他の信仰を偽りとみなすことは,ほぼ全ての宗教における基本的事項である48)。」特定の宗教が他の宗教に対する優越性を宣言し,強制的でない手段により他者に改宗を勧める権利は,欧州人権条約 9 条により保障される49)。宗教的不寛容に基づく暴力や憎悪を煽動・正当化しようとする表現が存在しない限り,宗教団体および信徒は,自身が信奉する宗教の教義の真実性および優越性を宣言し,他の宗教を批判する権利を有する50)。 国内裁判所は,TJWが使用していた資料が正教の司祭および信徒を侮辱する内容を含む点を問題視したが,多元主義的かつ民主的社会においては,「特定宗教の信徒は自らの信仰を侮辱され否定されることを甘受せねばならない51)」。特定の宗教団体が侮辱と受け取った表現が,直ちに憎悪表現とみなされるわ現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:11 84阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 2けではない。 国内裁判所においては,エホバの証人の資料における表現のどの部分が暴力・憎悪・不寛容を煽動するのかが特定されていない。エホバの証人の基本的権利に対する侵害は,ロシア法上の「過激主義」という過度に広範な定義により可能となった。しかし,過激主義の概念は,恣意的な適用を防ぐため厳格に解釈されるべきである。過激主義活動対策法 1 条における定義には,暴力や憎悪の要素がなく,平和的な表現・信仰が過激主義として告発されうる52)。このような広範な過激主義の定義は,予測可能性に欠けるものである。 したがって,過激主義活動 1 条における「過激主義活動」は,合法性の要件を欠く。国内裁判所は,判例において確立された原則に照らして問題を検討しておらず,過度に広範な過激主義の概念は,TJWによる宗教的優越性の宣伝を告発するための法的根拠とはならない。4 . 1 . 2 .民主社会にとって必要か( 1 )医療行為の拒否について 国内裁判所は,TJWがS氏に対して輸血を拒否するよう勧めたことによりS氏が死亡した点を指摘し,生命および健康に対する侵害を解散命令の根拠とした。この判断は,医療行為の選択による有害な結果から信徒を保護しようとする国家権力機関の権限が,個人の宗教的良心に優先することを示している53)。しかし,特定の医療行為または別の手段を選択する自由は,自己決定と個人の自律にとって不可欠である。客観的にどれだけ非合理的,無分別,不適切であるかに関わらず,自らの価値観に合致した選択をする権利は保障されねばならない。成人患者は,手術,輸血について自由に選択することができる。かかる自由は,生活の基本的な要素であり,公衆衛生上の必要がない限り国家は干渉すべきでない54)。 本件において,国家による干渉を正当化するには,S氏が自身の意思によらず医療行為を拒否したことを示す必要がある。国内裁判所は,TJWがS氏に不適切な圧力または不当な影響を及ぼした証拠を示していない55)。S氏の死亡は,自己決定権を行使した結果として評価すべきである56)。( 2 )市民的義務の放棄について 国内裁判所は,信徒が徴兵された兵士に対して軍務に従事することがないよう説得し,軍務とは無関係の奉仕活動に代替するよう要求したことが,市民的義務の放棄を勧めるものであると判断した。 エホバの証人の平和主義に関する信条は,信徒が軍務に従事すること,軍服の着用,武器の携帯を禁止する。信徒は,徴兵の義務を軍務とは無関係の市民的奉仕活動に代替することができる。ロシア連邦憲法59条 3 項および97年法 3 条 4 項は,良心的兵役拒否の権利を明示しており,国内裁判所においても支持されてきた57)。 本件に類似した事案であるLarissis事件では,軍の上官による部下への宗教的勧誘と軍組織に匹敵する圧力がない一般人による宗教的勧誘の性質の違いが比較された。前者には逃れ難い不適切な精神的圧力の存在が認められ,後者は単なる思想の交流とみなされた58)。 本件で問題となった会話・勧誘は,一般人の間でなされたものであり,権力関係や不適切な精神的圧力は認められない。軍務に従事することを控えるべきとの宗教的信念に基づく要求は不適切な圧力とはならず,一方が会話から離脱する自由が担保される限り,市民的義務の放棄を煽動するものとはみなされない59)。( 3 )未成年者の関与について 国内裁判所は,信仰を持たない親の同意なく,TJWがその子らを伝道活動や宗教集会に参加させたこ現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:12 85現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 2024とにより,親の教育権ならびに子の余暇および娯楽を楽しみ成長する権利が侵害されたと判断した。 エホバの証人の教団内におけるスケジュール管理,集会の開催・参加等に関する決定は,全て信徒の私生活の範囲に含まれる。宗教団体において,信徒が私生活で遵守すべき教義上の行為規範,教会の活動,儀式,特定の服装の着用,食事制限等について規律することは一般的であり,エホバの証人の伝道活動や集会への出席についても同様である。信徒は,宗教団体の規則を私生活で遵守することで,自身が信仰する宗教の教義に従うという願望を表明し実践する。この自由は,欧州人権条約 9 条により保障される。この自由の制限は,一夫多妻,未成年者の結婚,性別による明白な差別等,欧州人権条約の基本原則に違反する場合にのみ許される60)。 さらに,第一議定書 2 条は,親が自らの信念に基づき子を教育し教育機会を確保する権利を保障している。97年法および関連立法は,子の宗教教育について親の同意を条件としていない。従って,両親は,宗教的または非宗教的信念に基づき子を養育する権利を有し,子の宗教的実践および宗教教育への参加の可否および程度については,家族内で解決すべき問題である61)。 国内裁判所は,本件について子らから証言を収集しておらず,TJWによる虐待や強制の事実を示していない。こうした違法行為の存在が認められない限り,子らに宗教的または非宗教的な教育を行うか否かは両親または親権者が独占的に決定し,国家による干渉の余地はない。よって,国内裁判所が違法とみなした未成年者の関与は,親の教育上の信念の範疇を越えるものではなく,欧州人権条約 9 条により保障される宗教上または非宗教上の私生活の一部と見なされる62)。( 4 )家庭崩壊について 国内裁判所は,TJWが信徒の家庭の崩壊を勧め,強要したと認定した。 エホバの証人による強制的または脅迫的な行為が具体的に示されない限り,家庭崩壊は,信徒と非信徒の意見対立から生じた不満と孤立の結果に過ぎない63)。信仰に沿った生活様式は,信徒に対して教義上の規則を遵守し,多くの時間を宗教活動に捧げることを要求する。信徒が自由意思によりこのような生活を選択する限り,家族がどれだけ不満に感じても,それを家庭崩壊の原因とすることはできない。 TJWが信徒に対して,家族関係を維持するための条件を課した,または信徒の家族の成員に対して家庭崩壊の脅威を示した事実は認められない64)。( 5 )第三者の権利侵害について 国内裁判所は,TJWの戸別訪問により,意図せず訪問を受けた人のプライバシー権が侵害されたと判断した。 TJWが第三者のプライバシーを侵害したことの根拠が示されていない。Kokkinakis事件において,「『キリスト教徒の目撃者を増やすこと』(すなわちキリスト教の教義に触れる人を増やすこと:筆者)は,すべてのキリスト教信徒および教会の重要な課題・責任である。」と判示されているように65),TJWの戸別訪問は,物質的または社会的利益と引き換えに新たな信徒を獲得しようとする不適切な改宗勧誘と区別する必要がある。 国内裁判所の判断は,上記の点について具体的な証拠に基づくものではない。( 6 )補論:国家の宗教的中立性および制裁の重大性について 以上より,TJWの告発は,いずれも適切な事実の評価または十分な理由に基づくものでないことは明白である66)。ただし,本件における権利侵害の特殊な性質に鑑み,TJWの解散および活動停止の重大性と国家の中立性という観点から,当該措置の「民主社会における必要性」について検討する。現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:13 86阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 2 「国家は,異なる宗教,信仰,信念に対して中立かつ公平でなければならない。信仰の正当性や表現方法を評価することは許されず,国家権力機関は多様な集団が互いを尊重することができる環境を確保しなければならない67)。」 特定の宗教団体の活動が一律に禁止されたのは異例であるが,本件の如く,団体の解散・活動禁止措置が国内の多数派宗教を保護するためのものと言及されたのは,ますます前例がない68)。民主主義は,少数派の人々を公平に扱い,優越性を利用した濫用を避けバランスを保つものでなければならない。TJWの解散を決定した国内の手続は,憎悪や暴力の証拠ではなく,エホバの証人の信仰および活動に対する評価に基づくものであった。1992年から2009年までの17年間,TJWは合法的に運営されている。TJWに対する警告状には,TJWによる「違法行為」が立証された事実であるかのように記載されており,TJWに対する偏見とTJWを解散させる意図が見られる69)。TJWによる暴力や憎悪に関する証拠が存在しない中で過激主義認定の手続を開始した点において,ロシアの国家権力機関は,宗教団体に対する中立性,公平性の原則に反している。 TJWに対する解散命令は,結社に対する最も厳しい権利侵害であって,多くの会衆および信徒に影響を与えた。財産没収命令により,信徒から宗教活動の基盤が奪われた。宗教団体が礼拝場所を持つことができない場合,信教の自由の集団的側面が無意味なものとなる70)。さらに,本件の最も重大な点は,TJWおよびその出版物を「過激主義」に認定することで信徒達を訴追の危険に晒したことである。国内裁判所は,TJWを過激主義と認定することの法的効果を考慮していない。 よって,本件における権利侵害は,民主社会における必要性という観点からも正当化することはできない。4 . 1 . 3 .結論 以上の通り,本件における権利侵害は過激主義活動対策法 1 条 1 号に基づくものであるが,同条は法律上の明白性の要件および民主社会における必要性の要件を欠く。TJWの解散命令は欧州人権条約 9条,10条,11条に違反する。4 . 2 .エホバの証人の宗教的資料の禁止について 国内裁判所が過激主義資料として認定した宗教的出版物の禁止措置により,信徒が文献を研究・議論する自由が侵害された。国内裁判所は,上記出版物が伝統的なキリスト教宗派に対して否定的な態度を示し,離脱を勧めていることを禁止措置の根拠とした。なお,専門家は,出版物には暴力の呼びかけおよび煽動は含まれていないと結論づけ,ロシア連邦政府はこれに反論していない。 SJWの事案では,申立人の主張によれば,電気検査技師に扮した警察官によって教会内に禁止出版物が仕掛けられ,警察官が自らそれを発見したと擬制することで,SJWに対する解散命令の根拠とされた。 ロシア政府は,申立人の宗教の自由および表現の自由は,国家の安全および公共の利益とのバランスを取る必要があり,過激主義資料の頒布は,欧州人権条約 9 条および10条により保障された自由には含まれないと主張した。 国内裁判所は,エホバの証人の出版物は,他者の宗教的感情を害し,宗教的敵意を煽動し,宗教間の対立を引き起こし,市民的義務の放棄を内容とするものであるとして,当該資料を過激主義資料とみなす検察の主張を支持した71)。SJWは,警告にも関わらず過激主義資料と認定された出版物を保管・使用し続けた。国内裁判所は予防措置をし尽くしたとして,SJWの解散を唯一の適切な措置とみなした72)。現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:14 87現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 20244 . 2 . 1 .権利侵害の存在 エホバの証人の出版物を過激主義資料とみなし,申立人に対してその所持または頒布を禁止しSJWを解散させたことが欧州人権条約10条および11条における権利侵害に該当することについて,当事者間に争いはない。4 . 2 . 2 .権利侵害の正当性 過激主義が問題となったIbragimov事件において示された表現の自由と宗教の自由に関する一般原則によれば,「過激主義とされる言論に向けられた侵害を評価する際,緊張した政治的または社会的背景,暴力または憎悪の呼びかけ,正当化事由の有無,表現の形式,有害な結果につながる可能性について検討する必要がある73)。」さらに,「過激主義と認定するには,特定のカテゴリーや一般的な規則に該当することのみでは足らず,具体的な状況を示す必要がある74)。」 国内裁判所は,エホバの証人の出版物が宗教的憎悪を煽動し,エホバの証人の真実性・他宗教に対する優越性を宣伝し,他の宗教を虚偽であるとしてその指導者を敵視し,市民的義務の放棄を勧めていることを理由に,過激主義資料に認定した。しかし,これらの出版物において,暴力,憎悪,侮辱,排除,差別への呼びかけに該当する具体的箇所は特定されていない75)。また,当該資料による騒乱や秩序崩壊の可能性は確認できず,エホバの証人の資料が宗教間に緊張もたらし,有害な結果や暴力を招いたことを示す証拠も提出されていない。 先述のように,他の宗派の人々に対して改宗を勧誘する行為は,暴力的な手段を伴わない限り合法である。軍務を市民的奉仕活動に代替するよう呼びかける行為も許容される。エホバの証人の出版物を禁じる根拠となった過激主義活動対策法上の「過激主義」の定義は,暴力,憎悪,脅迫といった基準がなく過度に広範であり,平和的な表現活動に対しても適用されてきた。広範な定義は,いかなる資料が「過激主義」に分類されるのかを予測することを困難にさせるため,当該権利侵害が「法律により規定されている」とは言えない76)。 さらに,手続的保障についても問題がある。申立人のある者は,証拠の提出を事件の当事者であるという理由で拒否され,他の者は,訴訟手続について通知されず一審判決を争う機会が提供されなかった。これは,人権の手続的保障に違反する77)。 過激主義資料を配布することは,行政的違法行為法20条の29に違反するが,国内裁判所は形式的要件のみに焦点を当て,「表現の自由および宗教の自由に関する先例により形成された基準に照らして検討していない78)。」措置の必要性および規制目的と手段の比例性が検討されなかったため,過激主義資料に該当する文献のコピーが鍵付きのキャビネットに保管されていたというだけでSJWが強制的に解散されるというアンバランスな結果を招いた。 以上より,エホバの証人の出版物を過激主義資料とみなし,個々の申立人らを起訴しSJWを強制的に解散させたことは,欧州人権条約 9 条の趣旨に照らして10条および11条違反である。4 . 3 .ウェブサイトを過激主義資料と認定することについて 申立人らは,エホバの証人ホームページ(JW.ORGⓇ.)を過激主義資料とみなす措置は,法律上の根拠を欠き民主社会において必要でないと主張する。 インターネットは,個人が表現の自由および情報の自由を行使するための主な手段の一つである。インターネットは,自身の関心事に関する活動や議論に参加するためのツールであり,情報のアクセス・普及を促進する。欧州人権条約10条は,情報と思想を受け取り,発信する自由を保障する。ここには,情報を普及させる手段の自由も含まれる79)。現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:15 88阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 24 . 3 . 1 .権利侵害の存在 「ものみの塔ニューヨーク」が所有するウェブサイトを過激主義資料と認定したことが,ロシアにおけるエホバの証人の信徒および他の関心をもつ人々の情報アクセス権を侵害したことは明白である。例えば,視覚障碍者や聴覚障碍者にとっては,オーディオや手話による情報が収載されている当該ウェブサイトがアクセス可能な唯一の資料であった。過激主義資料であることを理由にアクセスを一律にブロックし,ウェブサイト上の宗教的資料に干渉したことにより,彼らの権利は侵害された80)。4 . 3 . 2 .権利侵害の正当性 前述の通り,権利侵害が正当化されるには,それが「法律により規定され」,目的が「民主社会において必要」でなければならない。 ロシア法上,ウェブサイトの所有者を公権力による干渉から保護するための制度は存在せず,ウェブサイトの禁止に先立って違反コンテンツを削除する機会は提供されていない。本件において,ものみの塔ニューヨークは,当該ウェブサイトが過激主義活動対策法に違反していることについて警告その他の通知を受けていなかった。検察による禁止措置は,影響を及ぼす可能性のある当事者に対する通知なく実施された81)。 「過激主義資料」に認定される範囲は,ウェブサイト全体に及んだ。ウェブサイトへのアクセスを一律に禁止することは,合法な情報と非合法な情報との区別を意図的に無視する極端な措置であり,その影響は違法とされたコンテンツをはるかに超える範囲に及んだ。違法なコンテンツを禁止するための特別な事情がある場合においても,厳格な基準が要求される。いわんや,違法なコンテンツを対象とした措置の副産物として合法なコンテンツをも禁止対象とすることは,ウェブサイトの所有者に対する恣意的な干渉である82)。 政府は,エホバの証人のウェブサイト全体を禁止するための法的根拠,措置の目的および社会的必要性を示していない。さらに,「禁止措置の対象が,大量の合法コンテンツに及ぶことの効果についても検討しておらず」,当該禁止措置はバランスを欠く83)。 以上より本件侵害は法律により規定されているとはいえず,民主社会における必要性も示されていないため欧州人権条約10条に違反する。4 . 4 .ACJWおよび被包括宗教法人の解散について 申立人らは,ACJWおよび地方法人が強制的に解散させられたことにより宗教の自由および結社の自由が侵害されたと主張している。 申立人らによれば,本件は,「平和的な宗教であるエホバの証人を沈黙させるための国家による数十年にわたる迫害の最高地点」である84)。解散手続中,ACJWおよび地方法人には反論が認められなかった。解散の対象となった395の宗教法人のうち387の地方法人は,設立から20年以上に渡り過激主義活動を行った事実がなかった。解散の結果,ロシアにおける17万 5 千人以上の信徒が集団で聖書を学び,信仰を公に表明し,子どもに宗教教育を施すことが犯罪とされた。2018年 4 月だけでも 4 名の宗教指導者が逮捕・拘留された。一連の措置のため,何百名もの信徒家族がロシアから逃亡した。 政府によれば,ACJWおよび地方法人の解散は,「第三者の権利,公共の秩序,国家の安全を保護し,個人の権利または公の秩序に対する害の蓄積が,市民の健康,生命,公共の秩序,公の利益,国家の利益に対する害に転じることを防ぐために必要な予防的措置」であった85)。ACJWを含む組織全体には,計18の警告が通知されており,警告後も度重なる過激主義活動が実施されていた。このような状況下において,強制解散は,唯一の手段である。本措置は,信徒が個人的に信仰を持つことを妨げるものではない。現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:16 89現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 20244 . 4 . 1 .権利侵害の存在 ACJWおよび地方法人の強制解散は,宗教法人の法的地位を剥奪し幅広い権利を制約した。さらに,信徒が「他の者と共同で信仰を表明し宗教活動を行う権利」を侵害した86)。4 . 4 . 2 .権利侵害の正当性 宗教の自由には,国家の恣意的な介入から自由な宗教結社を保護するという期待が含まれ,宗教団体の解散は「民主社会における必要性」を認定するに足る理由を要する87)。 解散決定は,エホバの証人の出版物を過激主義資料と認定した決定に基づくものである。当該決定の違法性については数度にわたり確認してきたが,改めて,解散決定が「平和的は宗教であるエホバの証人を沈黙させるための国家による数十年にわたる迫害の最高地点」とする申立人の主張を,全宗教団体に対する中立および公平の観点から検討する。 国家権力機関がエホバの証人を迫害し続けてきたとする主張を検討するには,一連の出来事を,全体の流れの中で評価する必要がある88)。 19世紀末以降,エホバの証人は,世界中で法的地位を確立し,多くの国において宗教活動を行うことが許可された。1990年代初頭,エホバの証人はロシアにおいても合法的に存在し,連邦および地方レベルで国家登録し法人格を取得することが認められた。その結果,ロシア全土に約400のエホバの証人の宗教法人が設立された。97年法制定後,宗教法人は再登録が求められ,サイエントロジー教会や救世軍といった他の「非伝統的な宗教団体」とともに,差別的な扱いを受けた89)。同時期に,国家権力機関は97年法の規定に基づき,エホバの証人モスクワ支部を解散するための手続を開始した。国家登録取消訴訟は一旦エホバの証人側の勝利で結審したものの,その後再燃し,2004年には強制解散および活動の無期限禁止が確定した。ただし,この事件において,モスクワ支部が家族を強制的に崩壊させ,第三者の権利および自由を侵害し,市民的義務の拒否を勧め,自殺を促し,医療行為を拒否し,非信徒の親または子の権利を侵害したことを示す証拠は提示されなかった。 2006年には過激主義活動対策法が改正され,「過激主義」の定義から暴力の要件が削除され射程が拡大した90)。連邦次長検事は,エホバの証人を名指ししつつ,「外国の宗教団体」に過激主義の兆候がないかを調査・監視するよう指示した。エホバの証人は印刷設備を有しており,監視は特に厳格であった91)。拡大された過激主義の定義の下で,ロシア各地において,暴力や憎悪の要素がないにも関わらず,多くのエホバの証人の宗教的出版物が過激主義資料と認定された。これにより,当該出版物を使用したエホバの証人は「過激主義資料の頒布」の罪で告発され,解散が命じられた92)。エホバの証人発行の 2 つの雑誌の全巻号の配布が禁止され,ウェブサイトへのアクセスも全面的に禁止された。前述の通り,上記の措置は過度に広範であり不当であった。 国家権力機関による攻撃は,過激主義資料を所持していた団体または個人を標的とするに留まらない。2016年,連邦次長検事は,ACJWに対して過激主義活動対策法に基づき警告を通知した。12 ヶ月の違反除去期間を経過した 2 週間後,司法省は,この期間内にいくつかの地方法人が過激主義資料を所持・使用し,ACJWがそれを防ぐ措置を講じなかったとして,ACJWおよび全地方法人の解散を申立てた93)。なお,ほとんどの地方法人は過去に過激主義活動を実行しておらず94),解散の手続自体に瑕疵があった。地方法人には解散手続について通知されず,宗教指導者らは報道によりその手続の存在を知った。判決確定後であったため,控訴は却下され,彼らは解散命令に対抗する機会を失った。 上記の事情を総合的に判断すると,ロシア全土におけるエホバの証人の強制解散は,国家権力機関のエホバの証人に対する不寛容の表れであり,宗教に対する国家の中立と公平に反し欧州人権条約 9 条および11条に違反する。現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:17 90阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 24 . 5 .エホバの証人の信徒に対する刑事告訴について 申立人らは,所属する宗教法人(TJW)が過激主義と認定され解散が命じられた後に,礼拝を行い,他の者と共同して宗教的活動を行ったことが「過激主義活動の継続」に該当するとして有罪判決を受けた。さらに,デンマーク国籍のクリステンセン氏は,裁判前に拘置場に拘留された。彼らは,「宗教集会の組織および参加を理由として告訴され有罪判決を受けたことは,国家による脅迫であり,信徒が信仰を捨てるよう計算されたものである」と主張した95)。宗教集会を継続していたことを理由として,国家権力機関は,「刑事告訴という不釣り合いなほどに重い負担を課した。申立人には前科がついたため,彼らは就労上の選択肢が制限され,再犯時の収監リスクに晒されている96)。」 ロシア政府は,申立人らは地方裁判所および司法省のウェブサイトに掲載された解散決定について知りえたにも関わらず,禁止された宗教団体の活動を組織的に継続させ,さらに未成年者を巻き込んだ点を指摘した。クリステンセン氏の拘留は,信徒に圧力をかけ証拠を隠滅し国外に逃亡することを防ぐための措置であった。有罪判決は,あくまで禁止団体の活動を継続させたことが理由であるため彼らの信仰とは無関係であり,国家の安全を保障し過激主義の犯罪を防ぐという公の利益とのバランスがとれたものである97)。4 . 5 . 1 .権利侵害の存在 政府は,申立人らが禁止団体の活動を組織し参加したことを刑事罰の根拠とし,申立人らは,信仰の実践と他者と共同で礼拝をしていたことにより刑事罰を科せられたと主張し,刑事処分の妥当性を争っている。ここでは共同で宗教活動をすることの重要性が中心的な論点となる98)。国内裁判所により,禁止団体の活動の継続は,以下の点をもって確認された。すなわち,集会の組織と実施,集会施設の清掃,宗教文献の研究と議論,輸血と兵役の拒否に関する説教,未成年者に対する宗教的指導,改宗勧誘と献金の収集である99)。 欧州人権条約 9 条は,宗教または信仰を実践するために信者が宗教団体の規則に基づき平和的に集まり,礼拝のための場所や建物を設置し保持する権利を保障している100)。献金の収集も宗教上のサービスを信徒に提供するためには不可欠であり,宗教の自由の重要な側面である。 国内裁判所は,宗教の実践は個人的に許可することで十分であり,他の者と共同で宗教活動を行う権利を軽視した。他の者と共同で宗教活動を行う権利は,宗教の自由の本質的要素であり,個人での宗教活動の自由とともに,9 条により保障される101)。このため,本件においては,共同で宗教活動をする権利に対する侵害が存在する。4 . 5 . 2 .権利侵害の正当性 TJWをはじめとするエホバの証人は,過激主義を理由に解散され出版物も禁止されたが,過激主義の定義は過度に広範であり,法人の解散および資料頒布の禁止が欧州人権条約 9 条に違反することは,先述の通りである102)。この結論は,本件における申立人らに対する刑事告訴および有罪判決にも適用される。過激主義の対象は,「暴力,憎悪,差別を含みまたはこれを呼びかける発言や活動に限定されなければならない103)。」国内裁判所は,暴力,憎悪,差別を含む具体的な活動を特定していない。 信仰に従う人々の自由を制限する際には,具体的な理由を提示しなければならない。しかし,国家権力機関は,申立人らが過激主義的性質を持つ社会的に危険な活動を行なっていたことを証明していない。このため,申立人らの刑事告訴および有罪判決は,過激主義活動対策法の射程を超えており,合法な目的および社会的な必要性を追求したものでもなく欧州人権条約 9 条に違反する。現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:18 91現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 20244 . 6 .論点および評価 本件は複数の訴訟の併合審理であるが,欧州人権裁判所の全体的な判断枠組みは以下の通りである。 第一に,エホバの証人の出版物を禁止し法人および団体の解散および活動禁止を命ずる法律上の根拠となった過激主義活動対策法上 1 条 1 号の「過激主義」概念の定義が不十分であるとして,同条は実質的に法律上の根拠となり得ないと判断した。このため,一連の訴訟で問題となった宗教的資料が「過激主義資料」に該当し,同資料を用いた伝道活動を「過激主義活動」と認定した国内裁判所の判断は全面的に否定された。過激主義の定義を問題としているため,宗教的資料の性質に関する審査は回避された。なお,欧州人権裁判所は,暴力性の要件を過激主義に加えることで,同法が「法律上の根拠」になりうると随所で示唆している。この点は,ロシアの立法府にとって十分対応可能であり,申立人であるエホバの証人にとっては,そこまで「画期的」な判決とはいえない104)。 第二に,「民主社会における必要性」については,個々の事案において制限された人権の重要性を検討することで国内裁判所の判断を退けた。例えば,輸血拒否の勧めに対する規制については医療行為の選択に対する自己決定権が,市民的義務の放棄の勧めに対する規制については思想を自由に交流させる権利が論じられた。これらの権利の対抗利益は公益であり比較衡量はなされていない。個々の審査基準は厳密に設けず,個別の権利の重要性を論じるに終始した。なお,正教信徒に対する侮辱については,自己の真実性を強調する宗教上の性質を理由に,「すべての宗教が甘受すべきもの」とした。この点については,他の細々論じられている権利とバランスを逸しているとの批判があり得よう。 第三に,ACJWおよび地方法人に対する解散命令の合法性をめぐっては,目的と手段の比例性が検討された。全法人・全団体に対する解散・活動禁止命令については措置が重すぎるとの批判が当然にあるが,国内裁判所が重視したエホバの証人の組織としての構造や予防措置が尽くされたかどうかを検討すべきであった。 第四に,欧州人権裁判所は,国家の宗教的中立性を持ち出し,結論ありきの国内裁判所の判断を批判している。しかし,エホバの証人が「平和的宗教」であることを前提とし,「他宗教を侮辱する自由」の限界を表現の暴力性のみに見出そうとする視点は,却って公平性を欠くものである。 欧州人権裁判所の判断は,基本的には第一の点に依拠するものであって,第二以降の諸点は,結論を補完する論点である。判断全体を通して,厳密な審査基準が明示されておらず形式論・抽象論が目立つが,これは後述するように,欧州人権裁判所,エホバの証人,ロシア政府の立場にズレがあるためである。先述のように,本判決はエホバの証人公式ホームページでは「画期的」と評価されているが,実際にはエホバの証人の活動に対して太鼓判を押したわけではない。Ⅴ 検討 本件をめぐっては,議論の混乱を防ぐため,予め欧州人権裁判所,エホバの証人,ロシア政府の立場を以下のように整理して検討する必要がある。すなわち,①過激主義活動対策法上の「過激主義」の定義に不備があり法律上の根拠とすべきでないとする立場,②「過激主義」の定義を認めた上で,宗教的資料や団体の活動がこれに該当しないとする立場,③「過激主義」の定義を認めた上で,宗教的資料や団体の活動を過激主義と認定し,当該団体の解散・活動禁止を命じる立場である。欧州人権裁判所は①であり,一貫して「過激主義」概念の射程を広範かつ曖昧なものとして批判している。エホバの証人は②であり,「過激主義」概念自体は否定せず,制約される人権の重要性を論じることによりロシア政府に対抗している。ロシア政府はいうまでもなく③である。 本件は②および③の立場が対立する事案であるにも関わらず,欧州人権裁判所は,①の立場から前提現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:19 92阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 2となる「過激主義」概念を全否定した上で,本来争点となるはずであった法人および信徒の人権と国家の利益の対抗関係や手段と目的の比例性を補足的論点に「格下げ」して論じた。このため,当事者が主張する人権の性質や公益の内容にまで踏み込んで議論されていない。結果的にはエホバの証人の全面勝訴となったが,実際には後述するように,ロシア政府にとっても将来的な応用が利く,紙一重の判決である。 以下,上記の評価に関連する事項について若干の検討を試みる。 第一に,欧州人権裁判所は,「過激主義」の定義の不備を指摘しつつも,暴力性の要件を加えることで,この概念が法的に正常に機能する可能性を示唆した。さらに,「先例により形成された基準」と述べることで,国内裁判所における過激主義事案の先例性を認めた。欧州人権裁判所が指摘するように,過激主義活動対策法にはもともと宗教的憎悪の煽動に暴力性の要件が含まれていたが,2006年 7 月27日の法改正により,この要件が削除され,暴力または暴力への呼びかけによらない憎悪の煽動が過激主義とみなされるようになった。2006年以前の法適用実務において過激主義と認定されていたのは,暴力を伴うイスラーム原理主義団体か,鉤十字を掲げた宗教団体のみであった105)。欧州人権裁判所の指摘は,こうした実務を指すものと思われる。このため,欧州人権裁判所は「過激主義」概念を否定しつつ,同時に法規制の根拠として機能する道も示したものといえる。 第二に,欧州人権裁判所は,過激主義活動対策法の立法過程における議論状況も踏まえた上で,同法の趣旨を評価すべきであった。本判決でも度々引用されたKokkinakis判決では,改宗勧誘を犯罪とするギリシア立法を丁寧に検討しその趣旨を明らかにしていた。過激主義活動対策法は,テロ対策に向けてスピード可決した不十分な法律との評価もあるが,実際には多民族・多文化国家としての性質を否定する言説を取り締まろうとする保守派と,その射程が無制限になることを危惧する革新派との間での議論の成果が反映された法律である106)。その結果,先に示したように「過激主義」の定義は制定当初10項目に及び,足りない部分は法改正や法適用実務において補足していく道が選択された。当時の法適用実務をみるに,同法の射程はかなり狭いことが理解できる。欧州人権裁判所は,立法趣旨と当時の判例状況に触れた上で,ロシア政府の主張する「国家の利益」について検討すべきであった。 第三に,一方で,ロシア政府および国内裁判所の判断は,実質的な審査を欠いた過度に形式的なものである。エホバの証人に関する特に2006年以降の一連の動きは,「過激主義」概念を限られた射程の中で適用してきたこれまでの実務とは方向性が異なる。このため,暴力性の要件を失った「過激主義」概念の射程について再検討すべきであった。さらに,人権制約の正当化根拠を究極的には憲法55条 3 項の公益に見出しているが,そうであればなおのこと,達成される利益と失われる利益を具体化した上で比較衡量すべきであった。多民族・多文化を自覚しておきながら,多様な言説や活動を「過激主義」概念で一括りにし規制対象とするのは,効率的ながらバランスを欠く。欧州人権裁判所による民主的必要性に関する補完的な判示は,この点を指摘しているように捉えることもできる。 少なくとも欧州人権裁判所は,「過激主義」概念による人権制約自体の評価は留保しており,ロシアにおけるこれまでの法実務を否定しているわけではない。「過激主義」概念は人権を重視する立場からは確かに危険である。しかし,多様性を否定する言説や活動に一定の歯止めを設ける意味ではその意義を無視すべきでない。Ⅵ むすびにかえて 今日,多民族・多文化を自覚する多くの社会において,民族間・宗教間における誹謗中傷を取り締まる必要性が論じられ,国家による管理・統制のあり方が再検討されている。横濱によると,例えば「多人種国家」であるシンガポールには「宗教調和維持法」が存在し,宗教間の批判に対して行政処分を科す権現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:20 93現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 2024限を内務大臣に与えることにより国家の「宗教的中立性」が保たれている107)。この法律は過激主義活動対策法と必ずしも同趣旨のものではないが,宗教間の対立を国家主導で排除することにより社会秩序を守ろうとする方向性は共通している。その際,「過激主義」概念の射程を限定しすぎると,柔軟性が損なわれ秩序維持の目的を達成できなくなり,広げすぎると法律としての機能を失ってしまう点が,立法における限界である。この限界は,本件においてロシアが体現した。そもそも,法律用語でない過激主義の定義には限界がある108)。我々は,「過激主義」概念の定義のみに固執するのではなく法適用実務も含めてその意義を再評価していかねばならない。 なお,エホバの証人が抱える問題については,わが国においても長らく指摘されてきた。最近では「鞭打ち教育」のみならず性被害の事例まで報告されている109)。これらが事実として世界各地で報告された場合,行為の目的と過激主義の定義次第では,欧州人権裁判所判決がエホバの証人の取締りにお墨付きを与える可能性すらある。エホバの証人は,その活動が本判決において無条件に正当化されているわけではないことを認識し,個人の人権を一層重視して活動することが求められる。「すべてのことは許されているが,すべてのことが益になるわけではない。…すべてのことが人の徳を高めるわけではない」のである110)。【付 記】 本稿は,JSPS科研費(課題番号:22K20104)の助成を受けた研究成果の一部である。注1 )988年のルーシ洗礼を起点とする。2020年の憲法改正では,いわゆるアイデンティティ条項が新設され(67条の 1),同 2 項は「千年の歴史によって統合されたロシア連邦は,理想および神への信仰を我々に伝えた先祖の記憶ならびにロシア国家の発展における継承性を維持し,歴史的に形成された国家の統一を承認する。」と規定した。2 )См.Маркова.Е.Н.КВопросуо(не)возможностиограничениявнутреннейсвободырелигии//Конституционноеимуниципальноеправо.№10/2017.2017.3 )ПостановлениеВЦИКиСНКРСФСРот8апреля1929г.«Орелигиозныхобъединениях»//СУРСФСР.1929.№35.С.353.4 )1925年に結成,1929年に改組された戦闘的無神論者同盟は,「ソビエト権力は全ての宗教に反対する」とのスローガンを掲げて反宗教運動を繰り広げた。5 )森下敏男「現代ロシアにおける信教の自由」(『神戸法学雑誌』48巻 4 号,1999年)862頁。森下によれば,「一般的には多生とも「自由」が容認されていた時期には,宗教に対しては規制が強まり,反対に独裁体制が強化された時期には,かえって宗教に対しては寛容な政策がとられている。」6 )ЗаконРСФСРот25октября1990г.№267- I «Освободевероисповеданий»//ВедомостиСНДРСФСРиВСРСФСРот1990г.№21.С.240.7 )帝政期以降,ロシアにおいて宗教団体が合法的に存在するためには,国家登録し法人格を取得する必要があった。90年法は,国家登録の要件を引き下げ,法人格の取得を届出制とすることによって,あらゆる宗教団体を法人化することを可能にした点で画期的であった。8 )ФедеральныйЗаконот26сентября1997г.№125-ФЗ«Освободесовестиирелигиозныхорганизациях»//СЗРФ.№39.С.4465.97年法の下では,宗教団体(религиозноеобъединение)は,法人格をもつ宗教法人(религиознаяорганизация)と,法人格をもたない宗教集団(религиознаягруппа)に区別される。9 )97年法前文「ロシア連邦議会は,…ロシアの歴史,その精神および文化の確立および発展における正教の特別の役割を認め,…キリスト教,イスラム教,仏教,ユダヤ教およびその他の宗教を尊重し,良心の自由および信教の自由の諸問題において,相互理解,寛容および尊重を達成するよう協力することの重要性を認め,この連邦法律を採択する。」10)97年法11条(制定当時)によると,宗教団体は,国家登録の際にソ連時代を含めて15年以上国内に合法的に存在したことを証明することが求められた。11)Федеральныйзаконот25июля2002г.«Опротиводействииэкстремистскойдеятельности»//СЗРФ.現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:21 94阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 22002.№30.С.3031.12)宮川真一「現代ロシアにおける宗教復興と政教関係の変容─1997年宗教法の運用を事例として」(『宗教法』30号,2011年)7-9 頁。13)柴田正義「ロシア・宗教法人法の現在地」(『宗教法』41号,2022年)149-150頁を参照。14)АнтоновМ.В.Нормативностьифактичностьвзащитерелигиозныхсвобод//Право.ЖурналВысшейшколыэкономики.2018.С.37.15)ШишинаЕ.А.КВопросупротиводействиядеятельностиэкстремистскойорганизации«СвидетелиИеговы»//УченыезапискиКрымскогофедеральногоуниверситетаимениВ.И.ВернадскогоЮридическиенауки.Т.6 (72).№3.2020.С.256.16)ИсаеваА.А.ПризнакисветскогогосударствавРоссии:особенностиреализациииперспективыразвития//Журналзарубежногозаконодательстваисравнительногоправоведения.№5.2018.СС.38-19.17)ГалаховС.С.ЭкстремизмвСовременномОбществе.М.:Юнити.2018.С.63.18)柴田・前掲注13,161-162頁。19)詳細は,清水賢「欧州評議会によるロシアの除名─ウクライナ侵略を受けて─」(『立法と調査』452号,2022年12月,参議院事務局企画調整室)105-124頁を参照。20)URL:https://www.jw.org/ja(最終アクセス日:2023年11月15日)21)山口瑞穂「日本におけるエホバの証人の発展要因─1970年代半ばから1990年代半ばまで─」(『宗教と社会』25巻,2019年)67頁。22)同,73頁。23)СвященникИгорьЕфимов.ЛожныесвидетельствасвидетелейИеговы(историческийочерк,критическийразборвероучения,положениевнастоящеевремя)Вып.2.М .:1997.С.162.24)СергейИваненко.Олюдях,никогданерасстающихсясБиблией.Арт-Бизнес-Центр.1999.С.271.25)Тамже.С.125.26)Указ.23.С.162.27)Тамже.28)СадченковС.Ю.РеализацияпринциповсвободысовестиивероисповеданиявВолгоградскойобластив1980-хгодах//ГосударствоицерковьвXXвеке:эволюциявзаимоотношений,политическийисоциокультурныйаспекты.ОпытРоссиииЕвропы/отв.ред.Филимонова.А.И.М.:ЛИБРОКОМ.2011.С.63.29)ИваненкоС.И.Олюдях,никогданерасстающихсясБиблией.Арт-Бизнес-Центр.1999.С.271.30)裁判の概要については,宮川・前掲注12,8-9 頁を参照。31)РешениеРостовскогообластногосудаот11сентября2009г.поделу№3-1/09.32)過激主義活動対策法上,憎悪表現を含む資料が過激主義資料と認定される場合,当該資料を用いた活動自体が過激主義活動とみなされる。33)РешениеГорно-Алтайскогогородскогосудаот03ноября2011г.поделу№1-270/11.34)それぞれの事案の詳細については,後述する欧州人権裁判所判決を参照。35)同条は,過激主義活動対策法 1 条 3 号の定める過激主義資料を出版・頒布した個人に対する行政罰について規定している。36)ОпределениеВСРФот12ноября2014г.поделу№46-АПГ14-6.37)一連の訴訟の詳細については,後述する欧州人権裁判所判決を参照。38)РешениеВСРФот20апреля2017г.поделуАКПИ17-238.39)ロシア連邦憲法55条 3 項「人および市民の権利および自由は,憲法体制の原則,道徳,健康,他人の権利および法益の保護,ならびに国防および国家の安全の保障という目的に必要な限度においてのみ,連邦法律によってこれを制限することができる。」40)TaganrogLROandothersv.Russia.No.32401/10and19others.Judgmentof7 June2022.41)Ib.,§§138-189.42)Ib.,§143.43)Ib.,§144.44)Ib.,§146.45)Ib.,§147.現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:22 95現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」Mar. 202446)Ib.,§148.47)Ib.,§151.48)Ib.,§153,IbragimIbragimovandOthersv.Russia.No.1413/08and28621/11.Judgmentof28August2018.§§116-117.49)Ib.,Kokkinakisv.Greece.No.14307/88.Judgmentof25May1993.§48.50)Ib.51)Otto-Preminger-Institutv.Austria.No.13470/87.Judgmentof20September1994.§47.52)Op.cit.40.§159.53)Ib.,§162.54)Ib.55)Ib.,§164.56)Ib.,§165.57)Ib.,§167.58)LarissisandOthersv.Greece.No.140/1996/759/958-960.Judgment.24February1998.§§51-54.59)Op.cit.40.§170.60)Ib.,§172.61)Ib.,§173.62)Ib.,§175.63)Ib.,§178.64)Ib.,§179.65)Op.cit.49.Kokkinakisv.Greece.§48.66)Op.cit.40.§184.67)Ib.,§185.68)Ib.,§186.69)Ib.,§187.70)Ib.,§188.71)Ib.,§196.72)Ib.73)Op.cit.48.IbragimIbragimovandOthersv.Russia.§§88-99.74)Perinçekv.Switzerland.No.27510/08.Judgmentof15October2015.§§205-208.75)Op.cit.40.§200.76)Ib.,§201.77)Ib.,§205.78)Ib.,§206.79)Ib.,§223.80)Ib.,§225.81)Ib.,§227.82)Ib.,§231.83)Ib.,§232.84)Ib.,§236.85)Ib.,§237.86)Ib.,§240.87)Ib.,§241.88)Ib.,§243.89)Ib.,§245.90)「暴力または暴力への呼びかけによる人種的,民族的,宗教的憎悪の煽動」から,「暴力または暴力への呼びかけによる」が削除された。91)Op.cit.40.§247.92)Ib.,§248.93)Ib.,§250.94)Ib.,§251.現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:23 96阪南論集 社会科学編 Vol. 59 No. 295)Ib.,§260.96)Ib.97)Ib.,§261.98)Ib.,§265.99)Ib.,§266.100)Ib.,§267.101)Ib.,§268.102)Ib.,§270.103)Ib.,§271.104)2022年 6 月 8 日JW.ORGⓇ.「ヨーロッパ人権裁判所 エホバの証人を迫害するロシアに対して画期的な判決を下す」URL:https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=702022212(最終アクセス日:2023年11月15日)105)柴田・前掲注13,152-156頁。106)同上,153頁。107)横濱竜也「シンガポールの宗教調和維持レジームと社会統合」(2023年11月10日に上智大学で開催された宗教法学会における口頭報告。)108)См.,указ.17.СС.6-18.109)2023年 3 月14日東京新聞(web版)「『エホバの証人』むち打ち 小学校入学前からが75% 6 割が精神的後遺症 元 2 世信者らが調査」,2023年11月 9 日朝日新聞デジタル「エホバでの性被害159件申告 役職者の加害,性行為の告白強制も」110)コリント人への手紙第一10章23節。 (2023年11月17日掲載決定)現代ロシアにおけるエホバの証人と「過激主義」無断転載禁止 Page:24 |